*** 05

「隼人。私達、もう別れましょう」

の声が上から降ってくる。いつの間にか山本は消え、かわりにそこにはがいた。そうだ、自分はここでと初めて出逢ったんだ。奇跡の出会い。運命の出会い。輝く過去。

「これ以上付き合っていても、お互いを傷つけるだけだわ」

不思議なことに、獄寺にはの言葉が呪文のように聞こえた。内容が頭に入ってこない。霧にかかったように霞んで、実態が掴めない。

「…私、山本武に求婚されたの」
「きゅうこ、ん」
「そう、求婚」

結婚を申し込まれたの、と言葉を噛み砕いては言った。分かっている、そんなの。だけど、なんでそんなことを今話す?獄寺は上手く話せない。思いを言葉に出来ない。だからただ黙ってを見つめる。

「『俺ならちゃんとを守るし、を幸せにするから』って言われたわ。山本武の気持ちは知らなかったけれど、嬉しかった。そんな風に強く私を想ってくれて」
「…山本と、付き合うのか」
「分からない」

だけどね。は笑って続ける。

「言いたかったのは、他に相手がいるってこと。お互いだけが相手じゃないわ。隼人にも、私よりももっと素晴らしい人がいるの。分かるでしょう?」
「俺は、お前じゃないと嫌だ」
「…そんな気がしてるだけよ」

小さな融通の利かない子供のように獄寺は自分の意志を話す。一瞬固まったも、すぐにまた元の表情に戻った。コーヒーを片手に、何処か遠くを見据える。獄寺にはいつだっては綺麗な女性で、それは今でも変わらない。

「隼人のことだもの。きっとすぐに素敵な人と出逢って、幸せになれるわ。私のことなんてすぐに忘れる」
「っそんなわけ、ないだろ!」

ばん、と机を叩く。今度はさっきの経験を生かして、殴りはせずただ叩いただけ。それでも思ったより力が入っていたのか、叩いた右手がひりひりする。山本の言った通りだ。獄寺は思う。が急にこんな話をしてきたのは、そのルーナって奴のことを考えてに違いない。どうして、他の奴なんて気にする?他の奴の都合が悪くなるなら別れるぐらいの、俺はそんな男だったと言うのだろうか。俺は、俺なら…そんなこと、しない。山本がを好きなことを知っていながらも、絶対にを渡すつもりなんてなかった。今だって渡すつもりはない。

「俺は、お前が好きなのに、お前以外の奴なんかどうだっていいのに、何でそんなこと言うんだよ。何でそんな、別れようとか言うんだよ。何で、なんで…」

もう獄寺にだって分かっていた。二人の関係が、少しずつ壊れていっていることぐらい。だけど信じたくなかった。認めたくなかった。許されるなら、すぐにでもをこの腕に抱き締めてキスして抱きたいのに、目前のテーブルがそれを邪魔する。手を伸ばそうとしても手が届かない距離にはいる。無理なのか?もう、触れることすら出来ないと言うのだろうか。

「…隼人、今までありがとう。私、楽しかったわ。貴方と出逢えて幸せだった」
、」
「もう会うことはないけれど、それでも、私は貴方を忘れない」
、」
「だけど隼人。貴方は、私を忘れて」

忘れて。はお願いする。

「こんな女忘れて、新しい人生を始めて。幸せになって。…私が願うのは、それだけよ」
、」
「ごめんなさい、さようなら。…お幸せに」
「っ!!」

立ち上がって走り去ろうとするを、獄寺は慌てて腕を掴み止める。「隼人、離して」「いやだ」また子供のようなことを言うと、人目も気にせず獄寺はを抱き締める。そのままキスをしようとして、獄寺は急に止まった。涙。が泣いている。ずっと、我慢していたのだ。我慢して、言葉を続けていた。

「ごめんなさい、隼人。ごめんなさい、ごめんなさい…」

獄寺は、まだ自分とは大丈夫だと信じ続けていた。だけど何故だろう。が謝りながら涙を零した時、もう無理なんだと、本能的に分かった。もう無理なのだ。自分とは、終わった。それを知ってしまったから、ゆっくりとを解放する。

「ばかやろう。…泣くなよ」

頑張って、笑顔を作ろうと獄寺は励む。変な笑顔になっているかもしれない。それでもいい、笑おう。も、涙を抑えて、笑おうとする。別れに涙は似合わない。

「何かお悩みかな?少年」

涙を拭き、彼女は獄寺にそう尋ねる。二人の始まりは、そこからだった。獄寺は幸せだった。本当に、を愛してた。心から愛した、最初で最後の女性。

「生憎、俺には悩み事なんてねーから、お前の助けは必要ない」
「そう。…残念だわ」

哀しそうに笑うは、それじゃあ、と言って背を向ける。追いかけるな、追いかけるな、追いかけるな。ここで追いかけたらの努力は何になる?動きそうになる身体を獄寺は必死に抑える。もう終わりなのだ。自分とは、終わった。二度と会うことはない。会っては、いけない。そうだ、そうなんだ、そうだろう?

獄寺は心の限り叫んだ。周りの客達は驚いて獄寺に目を向ける。それでも獄寺は叫び続けた。咆哮。 。好きだ。愛してる。愛してた。叫ぶ。いつまでも叫ぶ。結局お店の店員が警察に通報しそこにやって来るまで、獄寺の叫びは止まなかった。