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この世界には望む望まないに関わらず降り掛かってくるものが存在します。それはまるで『悪いことが起こらないように日々気を付けなさい』と言われたって悪いことに遭いたくて遭っているわけではないのだからどうしようもない、というのと同じようなものでしょう。既に、気を付ければ避けられる、そんな程度の問題じゃないのです。ではどうすればいいのでしょう。善い行い、つまりは善を繰り返せばいいのでしょうか。いいえ、違います。そうではありません。答えは至って単純明快、簡単そのもの、諦める、このひとつです。ただ手放すだけじゃありません。手放し、認める、これが必要なのです。そう、人間が世界に逆らおうなどとそんなこと、(くだらない) だけど私はそんな人を知っているのです。世界を憎み、世界を嫌い、世界に逆らい、世界を狂わせようとする人を。ただ私が不思議なのは、その人が、本当に叶えてしまいそうなこと。いつも笑顔で、いつも笑ってばかりだから、この人の前だったら地獄の大王だって逃げ出してしまいそうな気がして、気が付けば、その人の傍にいることが当たり前になっていました。ああ、これも、望む望まないに関わらず降り掛かってくるものの、ひとつなのでしょうか。だけどこれはどちらかというと、私自身、望んだことのような気もするのです。確かに、無理矢理私の手を引っ張り、引き入れたのはその人。でも、それを受け入れたしまったのは、私。因果なんて安っぽい言葉で結び付けるのは些か抵抗がありますが、要は、そういうことなのでしょう。彼は、引き入れた。私は、受け入れた。そして、私はずっとその時からその人の傍にいます。離れたことなどありません。離れる必要がないんですから。逃げたことなどありません。逃げる必要がないんですから。だから、私達は、一緒にいるのです。 「。今日はやたら何かを思い詰めていますね。何かあったのですか?」 骸さまの言うがままに傍に寄れば、骸さまはぎゅっと黙って私を抱き締めてくれます。その瞬間が、私は、すごく、好きなのです。抱き締められている時ではなく、抱き締められる、瞬間。勿論抱き締められている時も幸せですが、だけれども、抱き締められる瞬間の至福と比べたら、比べるまでもありません。骸さまが世界から私を奪い去ってくれる、瞬間。そう考えると全てのしがらみから解き放たれるような、不思議で、それでいて笑いたくなるような気分になります。もう、このまま、ずっとずっと、奪い去ってくれれば、いいのに。そんなことさえ考えてしまう、私は、おかしいのでしょうか。 「骸さま、この世界には、何故、幸せと不幸というものが、存在するのでしょう。何故、幸せだけとか、不幸だけとかじゃ、だめなのでしょう。それひとつで独立していても、何ら不都合はないと思います。いいえ、寧ろそっちの方が、人は片方しか知らなくていいので、楽なんじゃないでしょうか」 そっと、骸さまが私の頬に手を添え、満足そうに笑う顔は、綺麗、で。ああ、惹かれてしまう。その顔は、ずるいです、骸さま。きっとどんな人間だって、適う人はいないような、そんな笑顔。元々、分かりきっているのです。骸さまの命令に実行するという選択肢以外はなく、骸さまの質問に答えるという選択肢以外はないのですから。いつも口にしている言葉とはいえ、私も人間ながら当然恥じらいというものもあって、少し躊躇い、それでもゆっくりと言葉を口にする。「しあわせ、です」と。 「クフ、クフフ、ええ、そうですね。そうでしょうね。それで、ですよ、。なら、僕がいないこの世界にいる時、君はどう感じますか」 この世界に骸さまがいないなんて…考えたくもない。私はそんな、仮定の話は、好きじゃないのです。そしてそれと同時に、自分がいなかったらという質問も、好きじゃないのです。骸さまも、それは知っている、はずなのに。骸さまが、いない。その言葉が胸に響いて言い表せないような苦しさに襲われました。急に怖くなって、つよく、骸さまに抱きつきます。骸さま、骸さま、骸さま。いなかったらなどと、そのような恐ろしいことは、二度と言わないで下さい。考えようとしても強く閉ざされるぐらい、恐ろしい、領域。そこまで行かなければ、想像することすら出来ません。 「ちゃんと分かっていますよ。君が、こういう仮定は好きじゃないことぐらい。申し訳ありません。…でも、理解してもらうにはこれが一番だったんです」 私の頭を撫でながら、骸さまはどこか遠くを見つめます。どこか遠く、というのはこの場合取り敢えずそういっているだけで、本当にどこか遠く、なのです。見える見えないの問題ではなく、遠く。とにかく遠く、そして広い場所…さながら世界を見ているようにも感じます。じっと見つめていたかと思うと急に私に顔を向け、嘲笑う。馬鹿に、しているのです、骸さまは。この世界の人間を。人間という人間を、全て、一人残らず。純粋に、ただ、真っ直ぐに、嫌って、おられる。 「人は、全てのものを愛したり、全てのものを憎んだりすることは出来ないのです。好きなものがあれば、嫌いなものがある。一生懸けて大切にしたいものがあれば、すぐにでも壊したいものがある。そういうものなのです。そんな…世の中なんですよ」 いきなりの力強い抱擁に、私は息を吸うことさえ忘れてしまいました。ぎゅうっと抱き締められ…ああ、苦しい。かと思えば次は口付け。長く長く長い、口付け。骸さまは、私を殺す気でしょうか。このまま私は、骸さまに殺されてしまうんでしょうか。…それもまた、良いのかもしれない。愛する者の口付けで死ねるなんて、なんて、なんて…幸せなことなんでしょう。 「確かに僕はこの世界が憎いです。嫌いです。だから逆らっています、狂わせようとしています。…でも、は違う」 それは物凄く、素敵な言葉のような気がします。ドラマにでも出てきそうな、素敵な、言葉。…それでもやはり骸さま、私は、信じることが出来ません。骸さまは本当に素晴らしい方だけど、素晴らしい方、だからこそ、全てを信じることが、出来ない。骸さまの言葉を全て信じ、受け入れ、素直に喜ぶことが出来ない。ひねくれて、いるのです、私は。この世界を諦め手放したあの時から、信じることは、とても難しくなってしまった。それに、骸さまは…嘘をおっしゃる時があるから。笑顔で、何も悪いとも思わないで、のうのうと嘘をつけるのは、この方ぐらいではないかと真剣に考えたことがあるぐらい、骸さまは、嘘が、お上手。そんな理由があれば、信じられないのもまた、当然のことではないでしょうか。当たり前、のこと。それでも。 「骸さま、骸さま…愛して、います」 それでも、いいんです。それでも、私は構わない。貴方の傍にいられ、貴方に抱かれれば、それで、いい。押し倒され、身体中に降り掛かるキスに耐えられなくなり手を伸ばせば、そっと、骸さまはその手を握ってくれます。…だから確かにこの世界には、伸ばした手を握り返してくれる存在がいるのです。このキスも、同じ。望む望まないにも関わらず、降り掛かってくるものの、ひとつ。だけど言えます。これは、この方の偽りかもしれなくとも、この方の愛だけは…私が、望んだものだと。私自身望み、そして降り掛かってきたものだと。ならば、これが結果としてどんな最悪な結末を迎えようとも、それは受け入れざるをえない、のでしょう。骸さまに愛され、骸さまに抱かれ、骸さまに束縛され、骸さまに全てを制限されても…全て、私が望んだこと。後悔などありません。後悔する必要がないんですから。拒絶したことなどありません。拒絶する必要がないんですから。 そう、だから私は言ったのです。はっきりと、言ったのです。人間が世界に逆らおうなどとそんなこと、(くだらない)
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ディープダークネス
深い闇から抜け出そうとは思いません。抜け出す必要がないんですから。